新藤綾子歌集『葛布の襖』を読む

Date: 19/08/06 | Category: Essay, 書評 | コメント »

葛布襖 張ること久し 日本の 伝統の色と その手触りと

 本歌集は、新藤綾子氏の遺歌集である。歌集を開くと、著者の書によるこの作品の掛け軸の写真が掲げられている。表装を施したのは作者の長男新藤晴康氏である。
 新藤家は一家で表具店を営んでいる。葛布は、表具師として作者の好む素材であった。新藤家に嫁ぎ、家業を支え、子どもを育て、舅姑を看取る中で、短歌と出会う。
 平成二十九年五月二十二日永眠された後、遺品整理の中で表装用の紙を表紙として作られた四冊の歌集が見いだされ、作者の長女で児童文学作家の新藤悦子氏が、歌集を編むことを思い立った。
 「第一章 亡き母」「第二章 コーランの聞こゆ」「第三章 葛布の襖」「第四章 優しさは強し」「第五章 紅葉」の五部構成となっており、四冊の歌集に続いて、第五章に「三河アララギ」に掲載された作品五十首が加えられ、七七九首が収められている。作者の五十代半ばから七十代半ばの作品である。
 歌集の中で、職場詠がとりわけ心に深く刻まれた。

  夫とともに リズムを競ふ如く 障子を張る 竹へらの音 紙を張る音

  漉き模様の 明り取り障子に 陽の射して 床に梅の 花型の影
 
  音を頼りに 古き紙を 剥ぐ時は 左右の指先に 力のこもる

  一日かけて 折留めしたる 招雲如意を 透かして見れば 百の補修跡あり
  
 一首目は、表具師である作者の内部衝迫から生み出された勢いのある一首として、最も心に残った。二首目、障子を透した春の陽射しが職場に季節感あふれるやさしい空間を生み出している。一首目、三首目、四首目は、表具師のプロならではの作品であり、誰にも真似できない。
 寺の文化財となっている掛軸の補修や菩提寺である悟眞寺の天井絵の表装など、本歌集の作品から新藤表具店の技術の高さと由緒ある家系であることが伺える。
 「我が跡を継ぎゆく孫の五人居て未来広々と開けゆく思ひ」や「本屏風鎌倉へ送る荷造りの丁寧な息子の作業見ており」など、第五章の晩年の作品に、後継者として孫と長男晴康氏の存在を頼もしく思い、由緒ある家系の継承に安堵する作者の姿が偲ばれる。表具師という職業に心血を注いだからこそ、職場詠が力強い。
 介護をテーマとした作品が心に沁みる。

  正麩糊を 濾す姑の 手早さに 真似出来ざりき 嫁ぎ来し頃

  十年を 病みて床ずれもなく たゞ痩せて 姑は小さく 枯れて逝きたり
  
  わが夫と 吾と抱へての 入浴にて 湯舟の底に 沈まんとする姑

  歩けぬに 膝の痛める 我を思ひ 姑の気力の 甦り来つ

 長い月日を姑の介護に携わり、最期まで、表具師としての先輩であり、夫の母である姑への敬意を失わない。家族で最期まで看取るという固い信念と敬意に満ちた介護の在り方に頭が下がる。二首目は、特に介護をテーマとした作品の中の秀歌として心に留めたい。

  わが好み 夫と似て来ぬ 二人だけの 冬至の夜は トンガの南瓜

  五重相伝に 初めて杖を使はず 寺へ行く ゆつくりと夫の 後を追ひつ

  血圧の 高き夫誘ひ プールに入る 水泳帽子に 白髪目立ちぬ

  予定通り 仕事せし夫の 鼻唄を 聞きつ朝の 大根をきざむ

 夫を詠んだ歌が本歌集の中でいぶし銀のような輝きを放っている。加齢による身体や容姿の衰えの中、穏やかな時が二人の間に流れている。老齢期の相聞歌には開拓の余地があることを感じさせられた。
 旅行詠の中でトルコを詠んだ歌が面白い。作者はトルコを三度訪れている。

  「時をわたる キャラバン」を読み 終えぬ吾も 又カイセリの キャラバンに渡る

  アタマンの 洞窟ホテルには 十年前 娘に持たせし 軸のかかり居り

  横ゆれの 駱駝に馴れて 高き背より きのこ奇岩の カッパドキアを

  青々と 葡萄畑の 前に立ち 手を差しのべ呉るる トルコ人ハリメ

  セラップさん 待ち居る空港の 待合室 人少なくして 夕闇迫る

 『時をわたるキャラバン』(東京書籍)は、作者の長女新藤悦子氏の作品である。氏は、一九八五年から八六年にかけてトルコのカッパドキア地方ギョレメ村にて、現地の女性ハリメさんの手ほどきを得て絨毯を織り上げている。三、四首目は、娘に縁のある地を訪れた喜びが歌われている。二首目は、『月夜のチャトラパトラ』(講談社)の舞台となったホテルであり、五首目のセラップさんは、『イスタンブールの目』(主婦の友社)に登場する実在のツアーガイドである。娘から、広い世界を知らされ、歌の世界が広がった。
新藤悦子氏は、『青いチューリップ』(講談社)で、二〇〇五年、日本児童文学者協会新人賞を受賞している。「子の卒業せし小学校へ持ち行くは悦子の書きし「青いチューリップ」の本」や「己が娘を「光のようだ」と佐藤愛子の誇りを読みて忘れず」など、多くの方に「光のような」私の娘の作品を読んでほしい。そんな作者の声が聞こえてきそうな作品である。布や紙に触れる規則的な作業音と手触りを感じながら、歌集を読み終えた。

  茶室には 「優しさは強し」の 短冊あり 宮城まり子は 病みて在さず

 本歌集は、作者の優しさと強さと表具師としての誇りに満ちた一冊である。



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