夜の首都高(「梟の泉」『未来 2018.1 No.792』に掲載)

Date: 18/08/24 | Category: Essay | コメント »

 東京を離れて六年が過ぎた。生まれ故郷の福岡で暮らしている。大学進学のために上京し、東京に三十二年間暮らしていた。大学は、武蔵野の面影が残る玉川上水沿いにあった。私が東京で「都会」というものを感じたのは、地下鉄、高層ビル、そして、首都高だった。上京したのは昭和五十五年、福岡にはまだ地下鉄がなく、初めて銀座線に乗った時、地下鉄の駅が渋谷駅の二階にあるのに驚いた。

 カラフルな 地下鉄路線図 おやすみを 言って別れた 駅はこの駅   俵万智

 歌集『もうひとつの恋』の一首。恋人を思う時、無機質な地下鉄の路線図も色鮮やかに見える。地下鉄網が発達した都会でなければできない恋の歌だ。いくつもの線が入り組んだ地下鉄の駅で、方向音痴だった私のことを気遣って、改札口まで送ってくれた彼のことが思い出される。

 見おろせる 流線都市よ ほんとうに 生きてゆきたき 街などあらぬ  佐伯裕子

 歌集『未完の手紙』の一首。都市を見下ろし、作者は自然と都市の境界線を見ているのだろう。流線形をなす都市空間のどこにも生きていきたい街がないという。上京したての頃、新宿の高層ビルの展望コーナーから都心を見下ろして、自分とは異質の世界を感じ、彼方に霞む山を見ていた。

  都市の真上に 雲がするどく 湧き出づる 刻あり人は 仕事に執す  永井陽子

 歌集『樟の木のうた』の一首。仕事に集中している人の存在と雲という自然現象が対照的に切り取られている。するどく湧き上がる雲が、都市で働く人のエネルギーを象徴しているようだ。高層ビル街で激しいビル風に打たれるたびに、都会で生きていくことの覚悟を迫られているように感じた。
 都市は、恒常的に人が仕事をし、生活できるように、自然を切り開いて作られた人工的な空間である。都市の中でも、中央政府があり、皇居があり、政治、経済、文化の中心地である東京が私にとっての都会である。その東京で世界に誇れるものの一つが首都高ではないだろうか。

  ぬばたまの夜の首都高きゅうきゅうと光の帯で都心を縛る

 初心の頃に作った一首。家族で週末に夜のドライブを楽しんだ。都心を環状に、放射状に、縦横に駆け巡る首都高は、夜も絶え間なく車が流れている。道路や河川、海の上を立体交差して、高層ビルの合間を環状に抜ける車の流れが、夜の都心に締められた金襴緞子の帯のように感じられた。
 首都高は、開通から半世紀、多くの工夫と技術力を結集して、レインボーブリッジや横浜ベイブリッジのような見事な構造物を造り上げ、延伸を続けてきた。大気や水質の汚染、地盤沈下や騒音など様々な問題を抱えながら、都会は進化し続けている。
  
  見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける

 柳の緑と桜の色が織り込まれた錦のようだと平安時代の歌人素性法師が、都の春を愛でている。そして今、都市化で失われた自然が、首都高の大橋ジャンクションの屋上公園によって新たな姿を見せている。昔も今も都会には歌の素材が尽きない。



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